公演後記

第二回目本公演「乱離骨灰(らりこっぱい)」

ご来場頂きましたお客様、誠にありがとうございました。

今回も無事に公演を終了する事が出来ました!

大きな事故やゲガもなく、毎回、無事に公演が打てる準備をしてくださったスタッフ各位には感謝の念しかございません。

 

ブログにも書きましたが、今回の乱離骨灰は、ミステリー要素の強い作品となりました。ただ私が本来、表現したかった「家族の絆」と言うテーマは、しっかり表現できたのではないかと自負しております。日本の社会のタブーだったり、禁忌だったりを包み隠さず出し、少しだけ問題提起と言うものも含めてみました。

 

前回が比喩的なセリフ回し中心の作品に対し、今回は直接的なセリフ回しを多く取り入れました。もちろん、直接的とは申しましても、その裏に隠された意味や意図と言うものは、私自身、しっかり考えて入れておりましたので、演者さんに出された言葉が、その意味全てと言うことではありません。ただ、極力、含みは避けた会話を中心に乱離骨灰は描きました。

 

タイトル通り、今回は「謀略」「策略」「嘘や裏切り」血縁者の中でもそれが繰り広げられ、他人同士でも繰り広げられ、親子間、友人間、見ず知らずのもの同士、もう、とにかく色々とぐちゃぐちゃに、とっ散らかしました。お陰で伏線の回収が大変なことになりましたが、最後は何とか回収できたのではないかなぁ~と、思っております。

 

ミステリーは、一度やってみたいと思ってましたので、やれて良かったです!

 

さてさて、お次はどんなお話しになるのでしょうか。

 

やりたい事は山ほどあるので、その中から最後は一体どの山に登るのか、自分でも凄く楽しみです。このまま、気持ちが続く限り、色んな形で表現していけたらな、と、思います。

 

それでは、またお会いしましょう。

 

 

 

 

2017年 大晦日 ドリル饅頭主宰:中西広和

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私は今回の「Tsuru」と言う作品を通し、一貫して思っていた事。

 

それは「にんげんはわすれるいきもの」と、言う想いでした。

 

私はドリル饅頭と言う演劇ユニットをこじんまりと旗揚げしましたが、今回のテーマは、まだ始まりに過ぎません。

 

私は私なりの思考と経験だけで作品を作って行くことでしょう。

 

Tsuruを観た人の中には、演出をもっと勉強しろ、脚本力を上げろ、色々と思われる方も多いでしょう。

今の世の中、それらを勉強する方法は沢山あります。学校に行くのも良し、本を読み漁るのも良し、ネットで様々な事柄を引っ張ってくるのも良し、とにかく自分が身につけたい教材が見つからず困り果ててしまう世の中ではありません。

 

私は、いつか旗揚げしたいとずっと思っておりました。

その為に色々と演出に関する事や、シナリオの書き方などの本を読んだり、飽き足らず自分には縁が無さそうなジャンルの芝居を観に行ったりもしました。

 

ただ、今回、旗揚げを決心して思った事は、自分がやろうとしている事と言うのは、いくら勉強しても参考程度にしかならないことに気づいてしまった事です。

 

メソッドだ、シナリオだ、それらは「テクニック」でしかない。

 

芝居を観に来た人間の心を突き動かすのは、やはり演じている人間の「人間味」と言う魅力しかないし、私が作りたい作品は、割とそういう部分に重きを置く事が多く、スキルやロジックは二の次です。

 

むしろそれらは不必要な時さえあります。

 

ロジックで行くなら、このタイミングで、このセリフはおかしい、とか、この感情の流れで行くと、次のこのセリフは出て来ないし、繋がらない、とか、きっと、そんな問題が続出するのは自分でも自覚して作っております。

 

私自身、役者を経験してきたからこそ、思う事は沢山あるし、そういう思いも沢山して来ました。

色んな現場で自分の気持ちの流れで言えない、役者さんが良く言う所の「気持ち悪いセリフ」を私も何遍も吐きまくって気づいたのですが、何故、気持ち悪いのかを真剣に考えると、しまいには発想が転換します。

ただ、そこに辿り着くには相当な精神力を必要としますし、体力もかなり消耗するのですが。

 

「Tsuru」では比喩的にそれを描きましたが、残念なことに演劇の現場では、初見の段階で「このセリフ気持ち悪いんですけど」とか「これって、どういう意味ですか」と演出家に聞いてしまう役者さんが居ます。得てして、それを聞くことによって『演技のことを熟知しているからこそ出来る質問』として、本人は物凄いしたり顔で質問をしてしまう。いやいや、はたで見ていると非常に格好悪く見えてしまいます。以後、個人的には、その人の役者としての魅力も半減してしまいます。

自分で考えて、考えて、考え抜いて、ようやく少し見えた答えらしき感覚を稽古場で演出家に提示し、芝居を披露するのが役者なのではないかと言う自論が私にはあります。

役者である以前に、何事にも、自分で考えなくなってしまっては、人間としておしまいです。すぐ答えを求めてしまっては、進歩出来ませんし、せっかくの「知能」という能力も台無しです。

 

ちっぽけなプライドと感情で考える事を放棄してしまっては、実に勿体ないと私は思います。

 

 

今回、Tsuruではそれを、以下のこんな比喩シーンにしました。

 

生きていて「あの時、ムカついた」と言う記憶は残りますが、何故、ムカついたのかと言う事には目を背けてしまいがち。もともと目を向けていない根本の事柄なので次に同じよなムカつく事が起こっても、また同じようにムカついて終わる。「腹が立つ」ただ、それだけの不毛な繰り返し。

 

 

 

こんな勿体ない繰り返しは本当に馬鹿げているなぁ、と、私は思ってしまうのです。

 

毎回、同じことで腹を立てるだなんて・・・私だったら、すぐに疲れて死んじゃいますよ。

だから、いつも同じ事で腹を立てないように、色んな策を考え、講じていきます。

 

話が少しそれてまそうなので、元に戻します。

 

わすれるいきもの」それは日常で、良い事も悪い事も、目の前で起こっている事、色んな事を考えているからこそ、忘れてしまう事もあるのだと私は考えております。

 

何も考えてなければ、忘れる事もない。忘れる事が無いということは、裏を返せば何も覚えている事が無いということです。もっと言ってしまうと、そんな状態の人は、本当に人なのか、と言う疑問まで出て来てしまいます。

 

あまり私はテーマだ、メッセージだ、なんて大それた事は言えませんし、考えてもおりませんが、今回は、ぼんやりと、「自分は割と忘れん坊だからな、それじゃダメだぞって、感じの作品を作ろう」

 

書き出しは本当、そんな感じでした。

そこを私なりに目一杯、踏み込んで作りました。

 

次回公演は、どんな感じになるのやら。

 

今回は歌あり、ダンスあり、みたいな感じで作りましたのが、次は既にやりたい事が決まっておりまして、全く違う感じの作風になると思います。

 

 

どこまで行けるか分かりませんが、誰かの何かの真似ではなく、今後も自分の気持ちと感覚だけを頼りに作り続けて行ければと思っております。

 

 2016.10.29   ドリル饅頭:中西広和